2015年12月13日日曜日

成長について

自分自身を成長させることだけはやめない方がいい。世界は変わり続けているため、生き残るためには自身を変え続けなければならない。ここで、生き残りたいという気持ちを持っていることは仮定している。

ところで、高々1時間程度の授業でも半年間受講したらいつの間にか少しは内容がわかるようになっているように、無理をしなくとも人は案外成長するものだと思う。(もちろん、半年も授業を受けるのが無理であることは考慮していない。)
本を一冊読むだけでも、人と小一時間議論するだけでも自分では気がつかないだけで成長しているはずだ。継続して同じスポーツを続けていればいつの間にかできなかったことができるようになっていたりするものである。
すなわち、何かに取り組んでいれば、それが新しい挑戦でも昔からやっていることでも人は成長する。

また、何かを目指して(無理して)頑張ることは素晴らしいことではあるが、目指すことをやめることが恥ずかしいことだと思わない方がいい。
なぜなら、自分の限界を見極めることが自分自身を成長させることに繋がるからだ。(特に私はその見極めが苦手だ。)

私は最も自分自身を成長させることは自分にできることをやることだと最近は思う。かつては無理して挑戦することこそが素晴らしいと思っていた。

できることをしっかりやること及びできなさそうなことも挑戦するべきだが自分にできることなのかできないことなのかを見極めなければならない。

趣味と仕事の境界

このブログは非常に長い年月をかけて、私の備忘録だったり思いつきだったり、そんなようなきっかけで更新される。それはログとしての宿命であり、ログであるからこそ、「更新しなければならない」という思いで更新されるべきではないのだろう。だから、きっと、赤塚不二夫先生の言葉を借りれば「これでいいのだ」。
ところで私はなんだかんだで博士課程に進学しており、かつ後悔してもいる。というのも、私にとって物理学や数学というのは趣味にすぎないのではないかと最近思うからだ。後悔の機嫌は私にとって趣味と仕事の境目がわからなくなっているからだ。私は確かに物理学や数学について学ぶこと及び議論することは好きだ。しかし、それを仕事にしたいと思うかというとそうではない気がする。趣味というのは自らの好きなときに好きなだけやっていいものであってそこに責任はなく、かつ、やりたくないときにはやらなくてもいいもののことを言うのだと思う。一方、仕事とは例えやりたくなくてもやらなければならないことを指すのだと思う。例えば、アマチュアでスポーツをやっている人がオリンピックに必ずでなければならないかというとそうではないだろう。だが、プロはいついかなるときも第一線で活躍することが求められ、戦力にならないと思われたらそこで解雇だ。そのためには嫌でも練習し、厳しい環境に身を置かなければならない。

2015年2月2日月曜日

修士論文修正中

先月27日に発表をして,とりあえず一段落かと思いきや,今月3日に博士後期課程の試験と18日までにボスに修正版の修士論文を送らなければならない.